稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した歴史の古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られています。総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、中央区指定文化財。5月の大祭では神社大御輿で賑います。また、11月末の「どぶろく祭り」は奇祭として特に有名です。なお、“福禄寿”は福徳長寿の神、また“弁財天”は商売繁盛、学芸成就の神として親しまれています。 中央区日本橋小網町16-23 TEL : 03-3668-1080 |
かつて社の周りで、見事に生い茂っていた茶の木がその名の由来です。下総(千葉県)佐倉藩主堀田家の屋敷神として布袋神が祀られています。笑顔が優しい布袋様は、福徳円満と防災の神様として知られています。また、この屋敷内はもとより、町方にも火災が無かったことから、火伏せの神としても信仰を集めています。 中央区日本橋人形町1-12-10 |
安産・子授のお宮として超有名な水天宮。その成り立ちは、九州久留米藩の有馬公が文政元年(1818年)久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まりです。毎月5日に限り町民にも参拝が許され、当時から多くの人々に親しまれてきた日本橋七福神を代表するお社です。 屋敷内社として、火風の神、鎮火の神、雨の神また、芸能・弁論・貨殖への霊験があらたかな神様です。有馬頼徳公も願掛けして、能楽のライバル加賀の前田公に勝利した、という逸話が残っています。 普段お宮の扉は閉じられていますが、毎月5日と巳の日には、やさしいお顔が拝観でき、毎年5月の第2巳の日に例祭があります。水天宮は、安産・子授けのお宮として有名で、毎月戌の日は大変賑わって入場制限が行われることも。安産祈願は戌の日以外でも受け付けているので、マタニティの方は平日の方が安心かも。 中央区日本橋蛎殻町2-4-1 TEL : 03-3666-7195 |
明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭(よし)町の芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わいました。祀られている大国神は、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、破壊と豊穣の神として信仰されました。現在は豊穣の面が残り、大黒様として親しまれています。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に遺っています。 中央区日本橋人形町2-15-2 TEL : 03-3669-0479 |
この辺りは元和3年(1617年)に幕府の許可の下、庄司甚右衛門らが葭(よし)の茂る沼沢地を開拓して造った遊女町葭(よし)原(吉原)で、末廣神社はその氏神様として信仰を集めていました。ここに祀られているのは毘沙門様。 多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、又、福徳を授ける神ともされています。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められています。 中央区日本橋人形町2-25-20 TEL : 03-3667-4250 |
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本3大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めました。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされています。 中央区日本橋浜町2-11-6 TEL : 03-3666-7498 |
創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社です。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化しました。江戸時代には神田・柳森神社、新橋・烏森神社などと共に「江戸三森」として信仰されました。10月の恵比寿神大祭は毎年大いに盛り上がっています。 中央区日本橋堀留町1-10-2 TEL : 03-3661-5462 |
元々は皇居前にあった宝田村の鎮守様です。運慶あるいは左甚五郎の作とも伝えられる祭壇中央の見事な「恵比寿神」像は必見です。慶長11年(1606年)三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受けたと伝えられています。恒例の「べったら市」は、“べったり運がつく”と元禄時代から人気です。余談ですが勘解由(かげゆ)の娘は「まりあ(お雪)」という名で、ご主人は徳川家康に仕えた三浦按針,すなわちイギリス人ウイリアム・アダムスです。 中央区日本橋本町3-10 |